また朝から

電車の中で腹痛に身もだえする事に。
腹が痛くて途中下車を繰り返し、トイレで並ぶ羽目になって苦痛が長引く時には、神の不在を確信する。
我輩の下腹部から所かまわずエグソダスを叫ぶ声に耳を傾けたくなるが、肛門をジェリコの壁よりも堅牢に閉ざし、ただひたすら民族の解放を願う。
無論この程度の事は、過去においてはアウシュヴィッツやシベリアで、現在では世界のどこでも見る事のできる小さな悲劇の一つに過ぎない。
人は何時まで苦しまねばならないのか?
排泄とは、他者の命を喰らう人類に科せられた原罪なのだ。
聖なる書には、人類の父祖たるアダムは、知恵の実を喰らった際、慣れない物を食べたために腹を下した、と記されている。
また、カタリ派のペルフェクティは肉の咎より解き放たれており、排泄をしないと伝えられている。それが故に「完徳者」なのだと。
ギリシャ神話でも、原初、地上には黄金より生み出された人類たちが繁栄していた。彼らに排泄の苦しみは無かった、という。
神に近しき者には排泄などと言う行為は不要なのだ。

かつては近代でもその名残を見る事ができた。
偶像、と崇め奉られる一部の少女達は、排泄から解放されているという都市伝説が実しやかに語られていた。
今ではアイドルたちにかつての威光は無く、彼女らも排泄くらいはしているだろうと扱われ、それどころか「ゑ!こんな可愛い子でもウンコをするのか・・・・・」とハァハァされる始末。

そして、神ならぬ人の子として、今日も私は罪に苛まれる。
神は死んだが、悪魔は未だ去らず。

結局30分も遅刻した。

一応補足しておきますが、↑で書いてある事は信じないでくださいね。
ちなみにアイドルが〜のくだりから、アイマスに繋げて「彼女らは排泄も無いから完璧な存在なんだよ!」とか書こうと思ったけど止めておくことにした。