1−4

超久しぶり


1−4.人生に道があるならば

 一人で泣いていた僕に話しかけてきた男の子が居た。少し年上だろうか、年の割にはガッチリとした体つきで、耳たぶに大極紋の小さな刺青を入れている少年だった。兄よりも頼もしそうに見えた彼は、僕を励まそうとしてくれた。このスラムでは自由だろうが関係ない、常に飢えに苛まれ、暴力に晒される。逆にどこかの業者に売られてしまえば、そりゃ不自由だろうけど食い物は与えられるだろうし、雨露を凌ぐ事もできるだろう、と。彼の言葉に励まされ、少し気分が楽になった。もう兄に会えないかもしれない、と口にすると、「奴隷をスラムから出す事だけは禁じられてるし、狭いスラムだから、生きてればいつかきっと会えるさ」と言ってくれた。彼のおかげで少し落ち着いた。
 地下室を出る時に腰に縄を打たれ、前後の人間と数珠繋ぎにされた。そのまま、スラムの中央にある市場へと連れて行かれる。留置所に余裕は無く、まともな裁判も行われないので、逮捕された者は翌日には売りに出されてしまうのだ。
 奴隷市が立つのは当日告知があってから昼過ぎになる。それまでの間、医師による簡単な診療が行われる。不良品をそのまま競売にかけるのは自警団の評判に関わるのだ。僕の前にも医師が来た。以前、母の臓器を買って行った男だった。向こうは僕に気づく事も無く、年齢、病気と怪我の有無、体を売っていたかどうか、などを聞くと手早く全身を見て周り、○○や○門を診察し、大きな傷などがあればその理由を問いただした。そして、手元の紙になにやら書き付けてから次を見に行った。

 そして、競りが始まった。

 年齢、性別順に並べられた奴隷達が台に乗せられて簡単な紹介をされる。実際に競りが始まるのは一通りの紹介と質疑応答が終わってからだった。半円形の広場に2,30人の参加者が集まっている。事前に募集して、参加費用を支払ったものだけが参加できるシステムである。金持ちなどが常時張り付いているわけにもいかないので、条件を伝えておけば代理で競りに参加する職業バイヤーも存在していた。
 まずは最も価値の低い者達から売られていく。つまりは老人だ。残念ながらこのカテゴリは臓器回収者ですら見向きもしない。昔であれば彼らを競り落として行くのはスナッフビデオの撮影者くらいだった。しかし、近年スラムで発達してきたある商売を営む者達が、幅広く人を集めている。彼らは内地から来た者たちに、殺人を娯楽として供するのだ。その対象、手段、場所、死体の処分だけでなく、アフターケアも万全で、望むものには顧客が主人公として活躍するシナリオ付きホームビデオの撮影を行い、死体の一部をトロフィーとして加工しお土産として持たせたりもする。中には悪徳業者も居て、無断でビデオ撮影し客を恐喝していたものもあったのだが、この商売をビジネスとして成り立たせる事を望んだスラムの大物がそのような業者を取り締まったため、今では市場の正常化が行われている。最も、やはり死体の処理などが難しいので新規業者の参入は難しい状況になっている。
 そして成年男性。スラムでは常に労働力が求められている。この狭い人工島を少しでも拡張しようと、積極的に内地からゴミを引き取り海を埋め立てているのだ。土木業では常に人不足なのだが、勿論資金が無い。よってスラムの建設業界を支えているのは奴隷労働である、と言っても過言ではない。そこでこのカテゴリの奴隷たちは、土木業者と臓器回収業者の間で激しい競り合われる。もっとも、臓器回収業者の方が圧倒的に資金が潤沢なので、ほとんどの者は生き延びる事はできないのだが。
 残りは成年女性に未成年。この二つのカテゴリは、ほとんど需要が一致している。様々な業種がこれらの奴隷たちを求めている。風俗業と臓器回収業者、また一部の金持ちがこのカテゴリの競りに参加する。

 そして、競りが始まった。

 次々と人が台に立つ。彼らは裸に剥かれ、様々なポーズを取らされ、卑猥な言葉と嘲りを投げかけられ、そして売られていった。皆の顔に張り付いていたのは、絶望だけだった。
 いよいよ僕の番となった。刺青の少年に別れを告げ、涙をこらえながら台に上がる。炯々と欲望の光を宿す参加者や周囲の群衆の中に兄の姿を探したが見つからなかった。僕の帰りを待ちわびていたのかもしれない。僕も、まずは台の上で素っ裸にされた。股間を前に突き出したり、客に尻を向けて前傾姿勢をとるように要求されたりした。
 口上人が僕についてのセールスポイントをある事無い事言っていたようなのだが、覚えていない。終始嫌らしい笑みを浮かべて、下卑た冗談を口にしていたようだが。
 結局、僕を買ったのは代理人の男だった。奴隷の競りは、悪天候の日以外、ほぼ毎日行われる。当然、買う側も毎日は張り付いていられないので彼らの要望を予め吸い上げておく人間がいるのだ。条件に見合った奴隷が売りに出された時競りに参加し、依頼主の予算に合わせて競り落とす、という職業が成り立つのである。
 「お前はある方の所に連れて行かれるんだ。これはとても幸福な事なんだぞ?」と僕を買った代理人の男は口にした。「私と競り合っていたもう一人の男が居ただろう?ほら、今男の子を競り落とした奴だ。あいつは“殺させ屋”だからな・・・・・。あの子も可哀想に」 彼があごで指し示した先では、僕に話しかけてくれた少年が殴り倒されて鎖に繋がれていた。
 その少年と再会を果たしたのは、それから10年以上も経った後の事である。傲慢で他人を痛めつける事だけが趣味であり、暴力を振るう事を生業としている最悪の類の男の、自慢げに首からぶら下げた耳の首飾りの一部になっていたけど。